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『コメルス・サンタンドレ小路』 by バルテュス

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    どうやってここに辿り着いたのかは解らない。それ以前に、眼の前にしているこの光景は、わたしが今、現実に目撃している光景だろうか。それとも、遥かな昔の記憶を辿ったその結末なのか。それとも、未だ醒めぬ悪夢の中のものなのだろうか。


    作品名:コメルス・サンタンドレ小路
        Le passage du Commerce Saint-Andre
    画 家:バルテュス
        Balthus
    美術館:個人蔵
        Private Collection


    タイトルにあるコメルス・サンタンドレ小路 / Cour du Commerce Saint-Andreは、実際にパリ / Parisにある小径です。わたし自身はその小径を訪れた事はないのですが、記事や文章やネットで見る限りに於いては、この作品に描かれている通りの佇まいの様です。でも、確かにそこにある事物は寸分違わぬモノの様ですが、雰囲気は全く異なったモノの様に観えます。

    現実のコメルス・サンタンドレ小路 / Cour du Commerce Saint-Andreは、パリ / Parisの華やかな街のすぐそばの一角にあります。パリ / Parisの賑わいから退いたとも言えるし、かつてのパリ / Parisの景物をそのまま遺したとも言えます。
    ただ、いずれにしても、ヒトが往く街の、ヒトが活く小径であるのには、間違いないのです。

    でも、この作品にあるのは、なんだろう。

    沈黙でもないし、静謐でもでもない。うまく当て嵌まるべき語句が一切、浮かばないのです。敢て言うならば、"***的でないモノ"という様な、ある形容を否定した言い方しか見当たらないのです。
    "喧噪とは無縁のモノ"。"愉悦とかけ離れたモノ"。"繁栄から見捨てられたモノ"。
    だからと言って、本来ならばその反意語である"静寂"でも"不安"でも"没落"でも、それに言い換えられるかと言うと、やっぱりそれは出来ないのです。

    何故ならば、この作品に描かれている一切の登場人物達は、思い思いの様相でこの小径に佇んでいる訳ですが、それぞれはそれぞれに対して一切、不干渉で無関心だからです。
    (窓から顔をのぞかせている人物の顔も、その眼の前にある少女を観ていませんよね? 逆に、その少女も窓辺にある眼の前の人物を観ていませんよね?)

    だから、この作品を観るモノは誰しも、戸惑ってしまうのです。
    この作品の中に己の居場所はあるのだろうか、と。
    この小径を通り抜けて、他所へ往けるのだろうか、と。
    もしかしたら、どこへも行けずに、ここで活きるのだろうか、と。
    それとも、このまま逝ってしまうのだろうか、と。

    なお、この作品でこちらに背を向けて、向こうへ歩む後ろ姿の男性は、画家自身の肖像であると言われています。

    なので、下には、『1940年の自画像 / Autoportrait 1940』を掲載してみました。
    コメルス・サンタンドレ小路 / Le passage du Commerce Saint-Andre』は1952年に着手されて、1954年に完成します。その10年前の画家自身の肖像です。


    るい rui, the creature 4 =OyO= * criticism : art * 13:10 * comments(0) * trackbacks(0) * -

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