『コメルス・サンタンドレ小路』 by バルテュス
2012.01.07 Saturday
作品名:コメルス・サンタンドレ小路
Le passage du Commerce Saint-Andre
画 家:バルテュス
Balthus
美術館:個人蔵
Private Collection
タイトルにあるコメルス・サンタンドレ小路 / Cour du Commerce Saint-Andreは、実際にパリ / Parisにある小径です。わたし自身はその小径を訪れた事はないのですが、記事や文章やネットで見る限りに於いては、この作品に描かれている通りの佇まいの様です。でも、確かにそこにある事物は寸分違わぬモノの様ですが、雰囲気は全く異なったモノの様に観えます。
現実のコメルス・サンタンドレ小路 / Cour du Commerce Saint-Andreは、パリ / Parisの華やかな街のすぐそばの一角にあります。パリ / Parisの賑わいから退いたとも言えるし、かつてのパリ / Parisの景物をそのまま遺したとも言えます。
ただ、いずれにしても、ヒトが往く街の、ヒトが活く小径であるのには、間違いないのです。
でも、この作品にあるのは、なんだろう。
沈黙でもないし、静謐でもでもない。うまく当て嵌まるべき語句が一切、浮かばないのです。敢て言うならば、"***的でないモノ"という様な、ある形容を否定した言い方しか見当たらないのです。
"喧噪とは無縁のモノ"。"愉悦とかけ離れたモノ"。"繁栄から見捨てられたモノ"。
だからと言って、本来ならばその反意語である"静寂"でも"不安"でも"没落"でも、それに言い換えられるかと言うと、やっぱりそれは出来ないのです。
何故ならば、この作品に描かれている一切の登場人物達は、思い思いの様相でこの小径に佇んでいる訳ですが、それぞれはそれぞれに対して一切、不干渉で無関心だからです。
(窓から顔をのぞかせている人物の顔も、その眼の前にある少女を観ていませんよね? 逆に、その少女も窓辺にある眼の前の人物を観ていませんよね?)
だから、この作品を観るモノは誰しも、戸惑ってしまうのです。
この作品の中に己の居場所はあるのだろうか、と。
この小径を通り抜けて、他所へ往けるのだろうか、と。
もしかしたら、どこへも行けずに、ここで活きるのだろうか、と。
それとも、このまま逝ってしまうのだろうか、と。
なお、この作品でこちらに背を向けて、向こうへ歩む後ろ姿の男性は、画家自身の肖像であると言われています。
なので、下には、『1940年の自画像 / Autoportrait 1940』を掲載してみました。
『コメルス・サンタンドレ小路 / Le passage du Commerce Saint-Andre』は1952年に着手されて、1954年に完成します。その10年前の画家自身の肖像です。

Le passage du Commerce Saint-Andre
画 家:バルテュス
Balthus
美術館:個人蔵
Private Collection
タイトルにあるコメルス・サンタンドレ小路 / Cour du Commerce Saint-Andreは、実際にパリ / Parisにある小径です。わたし自身はその小径を訪れた事はないのですが、記事や文章やネットで見る限りに於いては、この作品に描かれている通りの佇まいの様です。でも、確かにそこにある事物は寸分違わぬモノの様ですが、雰囲気は全く異なったモノの様に観えます。
現実のコメルス・サンタンドレ小路 / Cour du Commerce Saint-Andreは、パリ / Parisの華やかな街のすぐそばの一角にあります。パリ / Parisの賑わいから退いたとも言えるし、かつてのパリ / Parisの景物をそのまま遺したとも言えます。
ただ、いずれにしても、ヒトが往く街の、ヒトが活く小径であるのには、間違いないのです。
でも、この作品にあるのは、なんだろう。
沈黙でもないし、静謐でもでもない。うまく当て嵌まるべき語句が一切、浮かばないのです。敢て言うならば、"***的でないモノ"という様な、ある形容を否定した言い方しか見当たらないのです。
"喧噪とは無縁のモノ"。"愉悦とかけ離れたモノ"。"繁栄から見捨てられたモノ"。
だからと言って、本来ならばその反意語である"静寂"でも"不安"でも"没落"でも、それに言い換えられるかと言うと、やっぱりそれは出来ないのです。
何故ならば、この作品に描かれている一切の登場人物達は、思い思いの様相でこの小径に佇んでいる訳ですが、それぞれはそれぞれに対して一切、不干渉で無関心だからです。
(窓から顔をのぞかせている人物の顔も、その眼の前にある少女を観ていませんよね? 逆に、その少女も窓辺にある眼の前の人物を観ていませんよね?)
だから、この作品を観るモノは誰しも、戸惑ってしまうのです。
この作品の中に己の居場所はあるのだろうか、と。
この小径を通り抜けて、他所へ往けるのだろうか、と。
もしかしたら、どこへも行けずに、ここで活きるのだろうか、と。
それとも、このまま逝ってしまうのだろうか、と。
なお、この作品でこちらに背を向けて、向こうへ歩む後ろ姿の男性は、画家自身の肖像であると言われています。
なので、下には、『1940年の自画像 / Autoportrait 1940』を掲載してみました。
『コメルス・サンタンドレ小路 / Le passage du Commerce Saint-Andre』は1952年に着手されて、1954年に完成します。その10年前の画家自身の肖像です。

"Autoportrait 1940" by Balthus