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『ウルビーノのヴィーナス』 by ティツィアーノ・ヴェチェッリオ

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    観る度に違う表情を魅せる、というのは彫刻作品にはよくある事だけれども、絵画作品に限っては、そおゆう表現はあまり通用しない。例えば、抽象絵画や前衛的な表現技法を使った作品を評価する場合に"表情"という比喩はあるかもしれない。だけれども、実際に具象として描かれた女性の顔を評して「観る度に違う表情を魅せる」と言わしめる作品は、希有な気がする。


    作品名:ウルビーノのヴィーナス
        Venere d'Urbino
    画 家:ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
        Tiziano Vecellio
    美術館:ウフィツィ美術館イタリアフィレンツェ
        Galleria degli Uffizi, Firenze, Italia


    このブログでは、実は本作品は何度も言及されたり紹介されたりしているのです。
    例えば、同じ画家の手になる『海から上がるヴィーナス / Venus Anadyomene』(記事はこちら)を筆頭に、エドゥアール・マネ / Edouard Manetの『オランピア / Olympia』(記事はこちら)やポール・デルヴォー / Paul Delvauxの『民衆の声 / La voix publique』(記事はこちら)やトム・ウェッセルマン / Tom Wesselmannの『グレート・アメリカン・ヌード No. 54 / Great American Nude No.54』(記事はこちら)といった、諸作品を紹介する記事に、この作品は顕われているのです。

    避けていた訳ではないのですが、なんとなく、遠回りをしていました。

    その理由のひとつが本作品に描かれた女性の表情なのです。
    美の神ヴィーナス / Venusの名で呼ばれている割には、崇高な美しさとか深遠な美しさとは違います。むしろ、その逆の方向、大衆的とか親しみ深いとか、そんな表現の方が相応しいと思います。
    ただ、時と場合によってはその表情が、とても蠱惑的に観える場合もあれば、とても下卑たモノに観えてしまう場合もあるのです。

    何故でしょう。

    ただ、解るのは、彼女の左掌がそっと据えられた下腹部を境に、右を選べば日常に還れるのかもしれず、左側を選べば濃厚な愛撫に出逢えるのかもしれない、という事です。作品を観るモノは、常にその二者択一を迫られているのではないか、そんな気がするのです。

    そして、その二者択一を迫られた観るモノの内心を、試す様に見透かす様に嘲笑うかの様に待ち望んでいるかの様に、彼女のその表情が凝視めるているのです。
    背後を遮断している農碧の幕と、自身の金色のながい巻毛に彩られたその表情は透明で、まるで鏡の様に、観るモノを映し出すのです。

    下に掲載するのはティツィアーノ・ヴェチェッリオ / Tiziano Vecellioの同時代人であるパルマ・イル・ヴェッキオ / Palma Il Vecchioによる『ウェヌス / Venus』。世代的にはティツィアーノ・ヴェチェッリオ / Tiziano Vecellioよりも上に属するのにも関わらず、技術や表現に関してはティツィアーノ・ヴェチェッリオ / Tiziano Vecellioの影響下にあったと、されているのがパルマ・イル・ヴェッキオ / Palma Il Vecchioです。
    ウルビーノのヴィーナス / Venere d'Urbino』の制作年が1538年頃とされているのに対し、1520年頃とされていますが、さて。


    るい rui, the creature 4 =OyO= * criticism : art * 09:38 * comments(0) * trackbacks(0) * -

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