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映画『CASSHERN』

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    この物語に悪人は登場しない。
    登場人物のすべてが、自らの意思に関わらないところで誕生し、己の生を全うせざるを得ない。英語で言えば「i was born」受動態だよね。産まれるという事はそういう事。この物語の登場人物すべてが己の出自を呪い、その出自から解放される事だけを願って戦う。
    本来ならば悪役である筈の、 延命を乞い願う年老いた権力者も、立場は同じ「やっとここまで辿り着いたのに、何故、ここで死ななければならないんだ」。だから、実の親子ですら互いに血を流しあう。
    何故、わたしたちはここに産まれて来たのか、そして、どこへゆこうとしているのか。
    この映画は、それに対して具体的な答えを提示する事なく終わる。それが、作品の評価が別れる所以かもしれない。
    もっと力強く「愛するものの為に」戦うと、断定してくれればよかったのにとも思った。


    ところで、この作品、様々な場面転換の中で、モノトーンのシーンとカラーのシーンを使い分けている。しかもモノトーンのシーンは常に冷たい金属的な光沢が画面をおおい、カラーのシーンはやわらかい光が注ぎ登場人物達をあたたかく包み込む。と、ここまではよくある話。
    問題は次のシーン。後にCASSHERNを名乗る事になる主人公(演: 伊勢谷友介)と、その恋人ルナ(演: 麻生久美子)が命からがら、追手の追撃を逃げ切って、つかのまの生を実感するシーンである。
    同じ台詞をモノトーンのシーンとカラーのシーンとが交互に、それぞれが互いに反響しあうような形で映し出される。台詞は交互に相乗効果をあげるように、各々のシーンに侵食し残響している。しかも、モノトーンの画面に映る二人は傷つき血に塗れているが、カラーのシーンでの二人は周囲の暖かい緑の輝きに照らし出される。これは一体、どういう意図があるのだろう。

    もしかしたら、この二人は、同時にふたつの異なった世界を生きている?

    最期の戦いが終わって、殆どの主な登場人物は、死んでしまう。なぜ、ここで死ななければならないのだろうか? なぜ、ここに産まれて来たのだろうか? その問いに答えられるものはいない。
    SFヒーローものにあるまじき重々しさと苦々しさが重くのしかかる時。
    しかし、宇多田ヒカルが唄うエンディングテーマ『誰かの願いが叶うころ』が流れ出すと、柔らかい光に満ちた登場人物達の笑顔をわたしたちは観るとになる。しかも、彼らはみな、彼らが愛するもの達と共にある。
    これらの映像は、この悲劇が起きる前の平和な日々の回想シーンなのだろうか。

    もしかしたら、彼らは、同時にふたつの異なった世界を生きている?

    わたしは思う。いままでのいつ果てるとも知れない戦闘の日々は、ただの悪い夢なのだと。たまたま、わたしたちは長い長い悪夢をみんなで観ていただけなのだと。この映画にあった戦闘や裏切りや人体改造や人種差別はすべて悪い夢だったのだと。
    悪夢の中で憎み殺しあった人々は、実はわたしたちと同じ、普通の人々。親があり子があり愛する人がいる。
    そう、信じたい。
    なぜなら、その逆もありうるから。今のわたしが日々平々凡々に暮らしている「ここ」こそが夢の世界で、わたしの現実は、あなたと殺しあっている世界なのかもしれないのだから。

    もしかしたら、わたしたちは、同時にふたつの異なった世界を生きている?

    映画『CASSHERN』は、数多くの問いだけを発し続けているが、一切の解答をわたしたちに与えてくれない。


    この記事を書くきっかけを与えてくれた新藤麗さんと白銀吹雪さんに感謝します。



    るい rui, the creature 4 =OyO= * criticism : cinema * 04:50 * comments(0) * trackbacks(0) * -

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