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CCライダー、のってけ泥棒

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    これから春をさがしにいかないか−こんな世迷い言をホザくヤカラとは思いやしなかったが、現実にあたしのこの携帯にメールして来てるんだから、テにおえやしない。ふたつ返事でOK!と打つ。ここ二、三日のぐづついた天気もどこへとやら、今宵は久かたぶりの冷たい空気が心地よい。ちょいと、深夜の湘南へと、くり出すことに致しやしょう。もっとも、あいつの、先週とったばかりの中型免許、先輩を拝み倒して借り出した新車、しかも二人して合乗りってのが、心もとなくってしようがないのだけれども。

    ここで一首、
    「身はふたつ こころをひとつにする前に けっしてよつには斬られまじ」
    お粗末様でございます。
    例えば、 B.バルドー ">S.ゲンスブールの短い蜜月をシンボライズする名曲「ハーレー・ダヴィッドソン」(映画『今宵バルドーとともに』を観てね)でも A.P.de.マンディアルグの長篇『オートバイ』でも何でもよいのだけれども、オートバイにまつわる濃密なセクシャルな感覚、それもフェティシズムに近い感覚はどこから来るのでしょうか?
    ひとつは跨がるという行為から?もうひとつはレザーファッション、動物の毛皮を身に纏うという行為から? そこらあたりをきちんと整理して適格な言説にまとめあげる為に、今、一生懸命、澁澤龍彦とか生田耕作とか彼らのチルドレンとかの文章を思い起こそうとしているのだけれども、上手くいきません。
    あぁ、どうしよう?

    仕方がないので、わたし自身の思い出を書く事にします。
    オートバイの免許を持っていないわたしにとって、オートバイとは、それを奔らせる彼(もしくは彼女)の背中に他ありません。
    最初の背中は父のそれ。彼は時々、思い出した様に、仕事が早くひけた晩に、長女であるわたしを後ろに乗せて、洋画のロードショー最終上映の回に連れって行ってくれました。(幼い弟と母との家族四人で、アニメ映画やファミリー向けの映画を観に行く事も、数ヵ月に一度。日曜日の初回の上演を観終わったわたし達はレストランでの昼食やデパートのショッピング、そんなお決まりのコースも、もちろん、楽しみのひとつではありましたが。)
    当時、10才にも満たないわたしにとって、街の夜の暗さと風を斬りさくオートバイの爆音の中で、父の大きな背中のあたたかさだけが心のよりどころだったのかもしれません。今となっては、ふたりっきりで映画を観に行く事以上の、「ひみつ」を共有する、密やかな楽しみも忘れる訳にはいきません。
    しかし、そのときは父の背をひとり占めする嬉しさの方が、勝っていたに違いありません。
    その後、父の背中を卒業して、学園祭まぢかの模擬店の準備に追われているわたしを送り迎えしてくれる背中や、海に沈む夕日を観に行こうと東京から日本海を一緒に目指す背中や −様々な背中にわたしは出会う事になります。
    るい rui, the creature 4 =OyO= * diaries : diaries * 23:03 * comments(0) * trackbacks(0) * -

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