"Venus In Furs" by The Velvet Underground(『毛皮のヴィーナス』 by ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)
2018.01.22 Monday
前回とは、レオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ / Leopold von Sacher-Masochの小説『毛皮を着たヴィーナス / Venus im Pelz』つながり。と、謂うかその曲、スージー・アンド・ザ・バンシーズ / Siouxsie And The Bansheesの『メルト! / Melt!』の種明かし。
てらてらてらとブーツの皮のてりかえし
闇にまぎれて少女を鞭うつ
鈴をならせば、あれがきみのめしうど、かれをみすてちゃあいけないよ
さあおうち、いとしきひとよ、かれのかわきをいやすのだ
街灯りがおもいえがかせる、かろやかな罪への自覚が
彼女のまとうべき衣装をおいかけ
いたちの毛皮で傲慢をよそおう
ゼヴェリーン、ゼヴェリーンがそこできみをまっている
ぼくはもうあいてつかれてしまい
一千年ものねむりにつけそう
一千もの夢からさめれば
そのいくつもの彩りでなみだをながすにちがいない
てらてらとしたブーツの皮にくちづけすれば
闇のなかでひときわかがやきをはなつ
ベルトの、革紐のそのきっさきがきみをまっている
さあおうち、いとしきひとよ、かれのかわきをいやすのだ
ゼヴェリーン、ゼヴェリーン、ようやくのことことばがもれる
ゼヴェリーン、ひざまづいたきみのもとにたおれ
鞭をあじわう、愛をこめてはげしく
鞭をあじわう、いまやきみのために血をながすのだ
その小説の読後感を思い出しながら、訳して行きました。
その小説の中では主客、というか、主従、というか、ふたりの人物の関係が転倒し倒錯する事によって物語は(ある人物にとっての)悲劇へと至るのですが、この曲の主観も常に一定ではない様に思えます。鞭うつ側と鞭うたれる側、両者の感情が混沌となったまま、うたわれている様に思えます。
闇にまぎれて少女を鞭うつ
鈴をならせば、あれがきみのめしうど、かれをみすてちゃあいけないよ
さあおうち、いとしきひとよ、かれのかわきをいやすのだ
街灯りがおもいえがかせる、かろやかな罪への自覚が
彼女のまとうべき衣装をおいかけ
いたちの毛皮で傲慢をよそおう
ゼヴェリーン、ゼヴェリーンがそこできみをまっている
ぼくはもうあいてつかれてしまい
一千年ものねむりにつけそう
一千もの夢からさめれば
そのいくつもの彩りでなみだをながすにちがいない
てらてらとしたブーツの皮にくちづけすれば
闇のなかでひときわかがやきをはなつ
ベルトの、革紐のそのきっさきがきみをまっている
さあおうち、いとしきひとよ、かれのかわきをいやすのだ
ゼヴェリーン、ゼヴェリーン、ようやくのことことばがもれる
ゼヴェリーン、ひざまづいたきみのもとにたおれ
鞭をあじわう、愛をこめてはげしく
鞭をあじわう、いまやきみのために血をながすのだ
その小説の読後感を思い出しながら、訳して行きました。
その小説の中では主客、というか、主従、というか、ふたりの人物の関係が転倒し倒錯する事によって物語は(ある人物にとっての)悲劇へと至るのですが、この曲の主観も常に一定ではない様に思えます。鞭うつ側と鞭うたれる側、両者の感情が混沌となったまま、うたわれている様に思えます。