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『カラスのいる麦畑』 by フィンセント・ファン・ゴッホ

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    こがねいろの麦畑のなかにある岐路。異なるみっつの方向に別れたそれらのどれも、うねうねとながく細く、そして、いづこへと誘うのか、まったくもって解らない。
    解っているのはただ、あおぐろい空のした、くろいとりが舞っている事だけなのだ。
    彼等は誘惑するのでもなく、警告を告げているのでもなく、くらい影だけをそこに落としている。
    この作品を観るわたしがそこで立ち往生してしまう理由は、おそらく、その故なのだろう。


    作品名:カラスのいる麦畑
        Korenvelden onder dreigende luchten met kraaien
    画 家:フィンセント・ファン・ゴッホ
        Vincent van Gogh
    美術館:国立ゴッホ美術館オランダアムステルダム
        Van Gogh Museum, Amsterdam, Nederland


    1890年の作品。

    かねてより画家の絶筆として喧伝されていて、それを前提とした作品解釈がまかり通っています。この作品から受ける印象に加えて、画家の不幸な死もそれに拍車をかけています。

    わたしがこの作品を知ったのは、確か小林秀雄 / Hideo Kobayashiの評論『近代絵画 / Modern Painting』であって、そこでもそんな逸話を前提とした論述をみる事が出来ます(こちらを参照願います)。

    でも、近年の研究からこの作品は画家の最期の作品ではないらしいのです。

    しかし、それだからと謂って、この作品が与える印象が柔らぐ事はありません。

    「<前略>人は道がずっと先でなくなりかけるような消点へと視線を移して、道が突然とだえていたりすると、『絶望』なんかをしてしまうもののようである」(南伸坊 / Shinbo Minami著『モンガイカンの美術館 / Mongaikan's Museum : Museum For The Outsiders』より)

    上の文章は、他の画家の風景画作品を紹介する際に綴られた文章であって、必ずしも本作品を評価してのモノとは断言は出来ない様です。ですが、その書物には論じられるべきその画家の幾つかの作品と並んで、本作品の中央部が掲載されていているのです。

    本当に考えるべき事は、この作品から受ける印象ではなくて、何故、わたし達がその様な印象を抱いてしまうのか、と謂う様な問題なのかもしれません。
    つまり、「『絶望』なんかをしてしまう」理由を考えるべき、なのかもしれません。

    無茶な視点で眺めてみれば、本作品の横長の画面は、パノラマ写真 / Panoramic Photographyで撮影したモノのそれとも思えなくもありません。
    だからそんな妄想を前提にすれば、実景では、みっつに別れてみえるこれらの道も、実際にはひとつ乃至ふたつなのかもしれません。
    (勿論、仮に画家がそんな視点を得ていたとしても、どうして、その様なヴィジョンを作品として呈示したのか、と謂う問題は遺ってしまうのですが。)

    下に掲載したのはアンドリュー・ワイエス / Andrew Wyethによる『冬野 / Winter Fields』(邦題は拙訳です)。1942年の作品。
    上の作品と関連づけた解釈が可能や否やは解らないのですが、 / Crowを画題とした作品を検索していく過程で出逢えました。
    (麦畑 / Wheat Fieldを画題とした作品を検索すると、フィンセント・ファン・ゴッホ / Vincent van Goghが描いた麦畑の作品 / Works Of Wheat Fieldばかりが登場します。)


    るい rui, the creature 4 =OyO= * criticism : art * 10:15 * comments(0) * trackbacks(0) * -

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