"Suzanne" by Leonard Cohen(『スザンヌ』 by レナード・コーエン)
2018.05.21 Monday
きみはスザンヌにいざなわれかわべりへとむかう
こぶねがとおりすぎるのがわかるだろう
彼女といっしょに一夜をすごすこともできるだろう
きみはきづくだろう 彼女がすこしおかしくなっていると
きみがそこにいる理由はそれだ
彼女はお茶とオレンジできみをもてなす
そのどれもが中国からの品だ
もうあなたを愛してなどいないのだと
きみがそうつげようとすると
彼女は自身のおもいをつたえるのだ
かわがこたえてくれると
きみは依然として彼女に恋しているのだと
きみは彼女とともに旅をしたいのだ
無計画の、いきあたりばったりの旅をさ
それで彼女の、きみへの信頼をしろうとするのさ
彼女の完璧な肉体をわがものにするためにさ
かつてイエスはふなのりだった
みずのうえをわたったときのことさ
彼はひとりぼっちで木製の塔で
ながいときをすごしていた
そのときたしかなことをひとつしったのだ
おぼれるものだけにかれがみえる
かれいわく「海がそのものに自由をあたえないかぎり
だれもがふなのりなのだ」
だがかれ自身は破滅した
おおぞらがひらかれるずっとそのまえに
孤独さ、おおくのひとびとは
まるでいしころのように智慧のもとにしずむのだ
きみはかれとともに旅をしたいのだろう
無計画の、いきあたりばったりの旅をさ
そうすればかれをしんずることができるかもしれない
かれがきみの完璧な肉体をわがものにするためにさ
いまやスザンヌはきみのてをとり
きみをかわべりへといざなうだろう
彼女は救世軍からてにいれた
ぼろできかざり
陽はまるで蜜のように港の淑女のうえに
とろけていく
彼女はきみにみるべきものをおしえるだろう
ごみのやまとはなばなのあいだには
海藻のなかの英雄たちがいる
朝陽をあびるこどもたちがいる
かれらは愛だの恋だのにむちゅうなのさ
もうずっとそれにかかりっきりだろう
スザンヌがかがみをてにしているかぎりは
きみは彼女とともに旅をしたいのだ
無計画の、いきあたりばったりの旅をさ
それで彼女の、きみへの信頼をしろうとするのさ
彼女の完璧な肉体をわがものにするためにさ
まず、イエス・キリスト / Jesus Christが登場する連の解釈に苦しみます。聖書 / Bibliaにある逸話をモチーフにしているのならばそれを前提にしないといけないし ... と、思うからです。
そうすると、イエス・キリスト / Jesus Christの連が、その前後にある連とどういう関係にあるのかなぁと、さらに悩んでしまいます。
『ダニエル書 / Book Of Daniel』に登場するスザンナ / Susannaの事でしょうか? でも、そこでイエス・キリスト / Jesus Christとスザンナ / Susannaが邂逅する事はありません。
それ以外にも例えば、その連に登場する「きみ / You」とその前後に登場する「きみ / You」は同一人物なのだろうか、と謂う疑問です。まさか、イエス・キリスト / Jesus Christを「きみ / You」と呼びかけはしていないだろうとは思えるのですが、曲の主人公「Suzanne / スザンヌ」 をイエス・キリスト / Jesus Christの連で「きみ / You」と呼びかけていないのだろうか、そんな疑念は終始、頭をもたげるのです。
「アワ・レディ・オヴ・ザ・ハーバー / Our Lady Of The Harbour」を港町の守り神の様な存在の、その彫像の様なモノと理解しているのですが、それで良いのでしょうか。
こぶねがとおりすぎるのがわかるだろう
彼女といっしょに一夜をすごすこともできるだろう
きみはきづくだろう 彼女がすこしおかしくなっていると
きみがそこにいる理由はそれだ
彼女はお茶とオレンジできみをもてなす
そのどれもが中国からの品だ
もうあなたを愛してなどいないのだと
きみがそうつげようとすると
彼女は自身のおもいをつたえるのだ
かわがこたえてくれると
きみは依然として彼女に恋しているのだと
きみは彼女とともに旅をしたいのだ
無計画の、いきあたりばったりの旅をさ
それで彼女の、きみへの信頼をしろうとするのさ
彼女の完璧な肉体をわがものにするためにさ
かつてイエスはふなのりだった
みずのうえをわたったときのことさ
彼はひとりぼっちで木製の塔で
ながいときをすごしていた
そのときたしかなことをひとつしったのだ
おぼれるものだけにかれがみえる
かれいわく「海がそのものに自由をあたえないかぎり
だれもがふなのりなのだ」
だがかれ自身は破滅した
おおぞらがひらかれるずっとそのまえに
孤独さ、おおくのひとびとは
まるでいしころのように智慧のもとにしずむのだ
きみはかれとともに旅をしたいのだろう
無計画の、いきあたりばったりの旅をさ
そうすればかれをしんずることができるかもしれない
かれがきみの完璧な肉体をわがものにするためにさ
いまやスザンヌはきみのてをとり
きみをかわべりへといざなうだろう
彼女は救世軍からてにいれた
ぼろできかざり
陽はまるで蜜のように港の淑女のうえに
とろけていく
彼女はきみにみるべきものをおしえるだろう
ごみのやまとはなばなのあいだには
海藻のなかの英雄たちがいる
朝陽をあびるこどもたちがいる
かれらは愛だの恋だのにむちゅうなのさ
もうずっとそれにかかりっきりだろう
スザンヌがかがみをてにしているかぎりは
きみは彼女とともに旅をしたいのだ
無計画の、いきあたりばったりの旅をさ
それで彼女の、きみへの信頼をしろうとするのさ
彼女の完璧な肉体をわがものにするためにさ
まず、イエス・キリスト / Jesus Christが登場する連の解釈に苦しみます。聖書 / Bibliaにある逸話をモチーフにしているのならばそれを前提にしないといけないし ... と、思うからです。
そうすると、イエス・キリスト / Jesus Christの連が、その前後にある連とどういう関係にあるのかなぁと、さらに悩んでしまいます。
『ダニエル書 / Book Of Daniel』に登場するスザンナ / Susannaの事でしょうか? でも、そこでイエス・キリスト / Jesus Christとスザンナ / Susannaが邂逅する事はありません。
それ以外にも例えば、その連に登場する「きみ / You」とその前後に登場する「きみ / You」は同一人物なのだろうか、と謂う疑問です。まさか、イエス・キリスト / Jesus Christを「きみ / You」と呼びかけはしていないだろうとは思えるのですが、曲の主人公「Suzanne / スザンヌ」 をイエス・キリスト / Jesus Christの連で「きみ / You」と呼びかけていないのだろうか、そんな疑念は終始、頭をもたげるのです。
「アワ・レディ・オヴ・ザ・ハーバー / Our Lady Of The Harbour」を港町の守り神の様な存在の、その彫像の様なモノと理解しているのですが、それで良いのでしょうか。