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『神の祈り』 by 関根正二

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    しろい薄衣をまとった2人の女性がいる。その風貌はおさなくみえる。
    ひだりの女性の掌はかたく握られてはいるが、もうひとりの両の掌には、ちいさな赤いモノがみえる。彼女はそれを厳かに携えている。それは神への捧げものなのだろうか。それにしては、それはあまりにもちいさい。
    薄明に浮かぶその場には、あかい花がいくつも咲いている。

    "Prayer Of The Divinity" by Sekine Shoji

    作品名:神の祈り
        Midday In The Alps (High Noon In The Alps)
    画 家:関根正二
        Sekine Shoji
    美術館:福島県立美術館福島県福島市
        
    Fukushima Prefectural Museum Of Art, Fukushima City, Fukushima Prefecture

    1918年頃の作品。

    この作品を観て悩ましいのは、描かれた2人の女性の姿勢なのです。
    本作品を収蔵している福島県立美術館 / Fukushima Prefectural Museum Of Artの解説を読むと、この2人は「歩いて」いるとされています。
    だけど、「歩いて」いるにしては、2人のまとう白い衣服が描く襞の文様がすこしおかしな具合です。
    だから、ふたりは両の膝を立てているのではないのかなぁと思います(それはそれで2人の身体の均整がおかしいのではありますが)。

    また、右の女性の頭部後方に、光背 / Haloの様な描写があるのですが、それはこの2人が生身の人間ではないと解釈すべきなのでしょうか。
    それにしては随分と、この2人は幼い表情をしています。
    寄る辺ない身にみえるのです。

    2人の表情に佇む、敬虔さや神妙さは、信仰に勤しむ人々の顕れの様にも思えるのですが、では彼女達がなにに祈っているのか、なにを祈っているのかが、さっぱり解らないのです。
    敬虔さや神妙さと綴りましたが、畏れや哀しみや淋しさといった感情も感じられます。

    本来ならば、2人が帰依している対象、すなわち神(もしくはそれに代わる存在)が、彼女達の面前に佇んでいる筈なのに、ここには描かれてはいません。
    その結果、とっても不安な心持ちにさい悩まされてしまうのです。

    信仰もしくは宗教を題材とする作品で、それを観るヒトビトをその様な心持ちに誘うと謂うのは、あっていいモノなのでしょうか。
    だから、もしかすると画家は、題名に掲げた様なモノとは全く違うモノをここに顕そうとしたのではないか、そんな気もしてしまうのです。
    尤もそれは、信仰に縁遠い生活をわたしがおくっているせいなのかもしれませんが。

    下に掲載するのはチャールズ・スピローグ・ピアース / Charles Sprague Pearceによる『信仰 / Religion』。1896年の作品。


    るい rui, the creature 4 =OyO= * criticism : art * 08:41 * comments(0) * trackbacks(0) * -

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