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『部屋』 by バルテュス

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    それまで闇にとざされていたそこに、不意に外部から陽光がさしこむ。少女が暗幕をあけはなったからだ。もしもそこに吸血鬼がいるのならば一挙に一塊の灰燼に帰すに違いない。
    しかし、そこにあるのは、椅子のうえにあおむけによこたわる少女の肉体だ。おさない肉体は陽をうけて、しろくうつくしく輝いている。
    いきているのか、しんでいるのか、それとも、ねむっているのか。
    その判断をくだすための材料はいまだなく、あざやかな血潮も鋭利な凶器も弾痕も、そこにはみいだせないのである。


    作品名:部屋
         Escenarios
    画 家:バルテュス
        Balthus
    美術館:個人蔵
        Private Collection


    1952年から1954年の作品。

    本作品は、随分と昔にこちらで掲載済みです。あらためてご紹介します。

    うえに妄想を綴ってしまったのは、次の文章を読んだからです。

    「それがまるでエロティックな探偵小説の挿絵のように見えたのだった。探偵小説といってもぼくは江戸川乱歩以外知らないので、きっとバルテュスの中に探偵小説の世界を垣間見たのかもしれない」(『名画裸婦感応術』(横尾忠則 / Tadanori Yokoo著)より、以下引用文は総て同じ。)

    これに続けて、次の様な文章も登場します。

    「バルテュスの絵はどの絵を見てもエロティックだけれども、江戸川乱歩の探偵小説にもこれに近いエロティックな感覚が流れているように思う」

    その書物で著者は「バルテュスと江戸川乱歩を結びつける者は、恐らくぼくだけだろう<以下略>」と綴っていますが、その文章を読んでしまった後には、そうとしか思えなくなってしまったのも事実です。

    と、謂うのは、本作品が劇的な装い、演劇的な演出に満ちている様に思えるからです。
    ひとつの絵画作品として完結していると謂うよりも、ひとつの物語の、極めて印象深い光景を描写した、そんな気がするのです。

    著者の謂う江戸川乱歩 / Edogawa Ranpo云々と謂う比喩に拘泥してみると、その推理小説作家の作品のひとつ『陰獣 / Beast In The Shadows』が雑誌『新青年 / Shinseinenn』に連載されていた際の、竹中英太郎 / Eitaro Takenakaによる挿画に似ていなくもないのです(例えばこちら)。
    つまり、ひかりとやみの描写です。

    ところで著者は次の様にも記しています。

    「それ(裸の少女:引用者註)を見つめる小さい女の子、小さい女の子を見つめるテーブルの上の猫。これだけで十分物語的だ。どうもこの物語の主人公は裸の少女やカーテンを開ける小さい少女の子や猫ではなく、窓から差す光ではないかと思う」

    わたしはこの文章を読むまで、猫の存在に気づいていませんでした。
    (だって、はじめてみた本作品は、ある書物でのちいさな白黒写真だったのだから ... ぶつぶつ ...。)

    したに掲載するのはエドワード・ホッパー / Edward Hopperによる『あさひ / Morning Sun』(邦題は拙訳です)。1952年の作品。
    室内にいる女性とその室内にさす外部のひかりと謂う点では、共通しています。
    但し、うえの作品が幻想的にも思えるのに対し、したの作品は現実そのものを描いた様に思えます。


    るい rui, the creature 4 =OyO= * criticism : art * 08:28 * comments(0) * - * -

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