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詩『語られる半生:Narrated Half His Life』

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    IKに

    そのおとこはわたしたちをまえに語りだした。あるおとこの生涯、それはとりもなおさずかれ自身の半生だった。そこにつどうわたしたちは、そのおとこがあつめたものたちで、かれら自身のほとんどは交流がない。つまり、おたがいにとって聴衆はみしらぬひとびとだったのである。その末席にあるわたしはじつはかれという人物をしらない。よこにすわるそのひとにさそわれていま、ここにいる。めのまえでかたるかれにとっては、唯一のみしらぬひと、それがわたしなのかもしれない。かれのかたるそのことばはひとことでいってしまえば懺悔録とよべるものだった。うまれてからこれまで、いくたのひとびととの出逢い、そのひとたちにむけてのおわびのことば、そればかりなのであった。恥をかたる、もしくはおのれの非をかたる、かれはときおり、そんなことばをつむいだ。たしかにそこではなされるのは、あるとき、あるばしょでのかれの言行録で、そして、そのほとんどが、かれ自身のおもわぬあやまちからおこった失敗談ばかりなのである。きいていてたのしいかといわれれば、それはありえない、むしろそのぎゃくだ。ときおり、身のおきばがなくなるようないたたまれなさをもかんずる。もしかして、わたし自身もそのひとのようなあやまちをおかしていたのかもしれない。ふと、そんな感情におそわれる。だが、そんなときに語り部たるかれをみれば、嬉々としているようにおもえるのだ。しかしそれは、自身の体験が共有されている、そんな実感ではないだろう。懺悔ということばとはうらはらに、なぜかかれは、優越感にひたっている。わたしたちよりもいちだんひくい位置へとおのれの身をおとしめながらも、その内心はわたしたちをおもうがままにみくだしている。そんなふうにわたしはかんじたのだ。
    るい rui, the creature 4 =OyO= * poetry : sonnet * 00:00 * comments(0) * trackbacks(0) * -

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