<< October 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 短歌:炎天下ニ詠メル | main | 詩「なにか:Something, A Spirit」 >>

『サンラザール駅, パリ 1932』 by アンリ・カルティエ=ブレッソン

0
    「<前略>雨上がりでしょうか、大きな水たまりがあります。この水たまりをピョーンととび越そうとした男の足が水面につくかつかないか、というギリギリの瞬間にシャッターが切られています。<中略>もうちょっと足が水から離れていても、水につかってしまっていてもだめ。<後略>」
    森村泰昌 / Yasumasa Morimura著『美術の解剖学講義 / The Lecture Of Anatomy For Art』より)


    作品名:サンラザール駅, パリ 1932
        Derriere la gare Saint-Lazare Paris, 1932
    写真家:アンリ・カルティエ=ブレッソン
        Henri Cartier-Bresson
    美術館:ニューヨーク近代美術館アメリカ合衆国ニュー・ヨーク
        The Museum Of Modern Art, New York, USA


    表題にある様に、1932年の作品。

    写真家の主張する決定的瞬間 / Image à la Sauvetteを代表する作品です。
    ですが、何故かその語句が、ぴんと来ない。語感から、報道の最前線にあるかの様な印象があって、それを受けて本作品に向かうと、なにをみていいのか解らないからです。
    ここにあるのは日常の些細なひとこまにみえるのですから。

    尤も、撮影した場所がパリ / Parisサンラザール駅 / Gare Saint-Lazareと謂う街の中心地であり、そこが一面みずびたしなのは、非日常的な光景なのかもしれません。豪雨のその後、それとも河川の氾濫、そんなモノを受けてのこの光景ならば、そこは報道の最前線なのかもしれないのです。
    ですが、そんな撮影の背景はここには顕れてもいないし、恐らく作品の中心になるであろう「とび越そうとした男」は、そんな非日常を軽やかに飛び越えようとしているのです。

    ひとつには、「とび越そうとした男」がくらいかげとしてそこにあるからなのかもしれない。彼の背景にある景色に埋没して、彼の行動とその結果である「水面につくかつかないか、というギリギリの瞬間」にわたしの焦点が結ばないのです。
    仮に彼と彼の足許にもっと視点が集中していれば、「水面につくかつかないか、というギリギリの瞬間」に気づく、さもなければ気づかざるを得ないのかもしれない。

    そんな事を考えながら、上に引用した著書に向かうと、著者は決定的瞬間 / Image à la Sauvetteとは別の視点を提示して、本作品のみるべきところを丁寧に紹介しているのです。
    本作品には、幾つもの対照的な存在があると謂うのです。

    そのひとつは、「とび越そうとした男」の動き、画面左から右へと謂う動きと対照的にある、右から左への動きです。
    それは画面左奥に貼られたポスターかなにか、そこにある跳躍している人物の描写です。このシルエットと、「とび越そうとした男」のシルエットがバランスよく配置されているとみているのです。

    その対照性はそればかりではないのですが、あなたはそれを発見する事が出来るのでしょうか?(解答は、上の著作にありますよ。)

    下に掲載するのはムンカーチ・マールトン(マーティン・ムンカッチ) / Munkacsi Marton (Martin Munkacs)撮影の『ザ・パドル・ジャンパー / The Puddle Jumper. 1934』。表題にある様に1934年の作品です。


    るい rui, the creature 4 =OyO= * criticism : art * 08:36 * comments(0) * trackbacks(0) * -

    スポンサーサイト

    0
      スポンサードリンク * - * 08:36 * - * - * -

      comments

      entry your comments









      trackbacks

      このページの先頭へ