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『病める子』 エドヴァルド・ムンク

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    おのが娘にすがるかの様に泣き崩れる女性のすがた。それはあまりによく解る。
    しかし、一方の娘はどうなのか。彼女は彼女の母の、その感情のほとばしりをうけとめているのだろうか。
    そして、ふと思う。
    すでにして、その少女はここには存在していないのではなかろうか、と。


    作品名:病める子
        Det syke barn (Sick Child)
    画 家:エドヴァルド・ムンク
        Edvard Munch
    美術館:オスロ国立美術館ノルウェーオスロ
        Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway


    1885年から1886年の作品。

    ネット上で、同画題の作品を検索すると、意外と多くの作品が登場して吃驚とします。
    でも、本作の様な作品には、なかなか出逢う事は出来ません。

    と、謂うのは同一の画題でありながら、そこに登場する殆どの作品は、看護 / Nursingを主題としたモノだからです。
    病に伏している幼児もしくは児童と、その傍に付き添う成人の姿です。それは肉親の場合もあれば、それを生業とする医師 / Doctorもしくは看護師 / Nurseの場合もあります。
    作品によっては、看護の叙景と謂うよりも、病室 / Hospital Roomと謂う光景を描いたモノにみえるモノもあります。その部屋なればこそ備わっているべき医療器具や備品、それらを主としている、そんな作品です。

    だから、同画題とは謂いながら、それらの作品群とは、本作は一線を画したモノにみえるのです。

    ここにあるのは、母親(なのでしょうか?)、そこで看護 / Nursingする女性の悲痛さです。
    しかし、その悲痛さを受け止めるモノがここには一切、描かれてはいないのです。
    看護 / Nursingされる側の少女は、その感情には全く感応していません。
    病の為に、意識が朦朧としているからなのでしょうか。
    それとも、己れに迫りくる運命を知って、既に達観の境地にあるからなのでしょうか。
    無表情、と謂うよりも、あまりに透明なのです。自身の感情を否、自分自身の存在を放棄してしまった様にも、思えてしまうのです。
    いずれにせよ、看護 / Nursingする女性の感情とはべつの次元に少女はいる様にみえてしまいます。

    そして、わたし達がその女性の感情をうけとめるのかと謂うと、必ずしもそうではないでしょう。
    少なくともわたしは、その少女の表情にだけ、めを奪われているのです(それ故に、その女性になげかけるべきことばは、通常にあるべきことばとは、全く異なったモノの様に思えます)。

    下に掲載するのは、セシル・ビートン / Cecil Beatonによる『中国 1944年:病気の子供の枕元に身を休める母親、成都市カナダ・ミッション系病院にて / China 1944: A Mother Resting Her Head On Her Sick Child's Pillow In The Canadian Mission Hospital In Chengtu.』(邦題は拙訳です)。題名にある様に、1944年の撮影です。

    "China 1944: A Mother Resting Her Head On Her Sick Child's Pillow In The Canadian Mission Hospital In Chengtu."
    るい rui, the creature 4 =OyO= * criticism : art * 08:51 * comments(0) * - * -

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